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京都地方裁判所 昭和45年(ワ)563号 判決 1974年11月29日

原告

瀧野正典

訴訟代理人

西村悦蔵

被告

京都トヨタ自動車株式会社

代表者

粂田禎雄

訴訟代理人

三橋完太郎

被告

戸田邦夫

外二名

被告三名訴訟代理人

芦田礼一

主文

一  被告京都トヨタ自動車株式会社、同吉見利博、同吉見弘己は、各自原告に対し金二二一万円と、これに対する被告会社、被告吉見利博は昭和四五年五月一〇日から、被告吉見弘己は同月一一日から、各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の前項記載の被告三名に対するその余の請求を棄却する。

三  原告の被告芦田邦夫に対する請求を棄却する。

四  訴訟費用中、原告と第一項記載の被告三名との間に生じた分は三分し、その二を原告の、その余を同被告三名の各負担とし、原告と被告芦田邦夫との間に生じた分は原告の負担とする。

五  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができ、第一項記載の被告三名は共同して金二〇〇万円の担保を供して仮執行を免れることができる。

事実《省略》

理由

一原告主張の本件請求の原因事実中第一項の事実は当事者間に争いがない。

二本件事故の態様について

前記争いのない事実や、<証拠>を総合すると、次のことが認められ、この認定の妨げになる証拠はない。

(一)  被告吉見利博の弟である被告吉見弘己は、昭和四四年五月ころ、被告会社舞鶴営業所で加害車を購入し、被告吉見利博と被告吉見弘己が、常時加害車を仕事に使用していた。

(二)  同営業所の巡回サービス員が、同年一一月二二日ころ、加害車を点検した結果、エンジンのオイル洩れ、ブレーキの片利き、ドア硝子のガタを発見し、無料で修理するから工場に入れるように勤めた。

(三)  そこで、被告吉見弘己は、同月二五日同営業所に修理に出したところ、同営業所では、同月二六日みぎ箇所の修理点検をした。同営業所の三級整備士訴外森脇千聡、同小林政男がブレーキ片利きの修理に当つたが、その方法として、ブレーキオイルの空気抜き(以下エア抜きという)もした。

(四)  被告吉見利博は、翌二七日午後五時三〇分ころ、同営業所に寄り、加害車の修理が終つていたので、これを引き取り、そこから、福知山市まで帰宅すべく、被告芦田邦夫にその運転を依頼した。

(五)  被告芦田邦夫は、被告吉見利博を助手席に同乗させ、約二キロメートル程進行して本件事故現場にさしかかり、踏切に停車中の被害車を約一〇〇メートル前方に発見し、被害車の後方に停車しようとしたところ、加害車のブレーキが全く利かず、被害車に追突した。

被告会社営業所を発進し、本件事故現場にさしかかるまで、被告芦田邦夫は、少なくとも四回はブレーキをかけたが、そのときには、ブレーキが利き異常を感じなかつた。

(六)  被告会社舞鶴営業所の訴外梅田立兵が、本件事故直後、加害車を現場で調べたところ、リザーバタンクには全くブレーキオイルがなかつたし、翌日加害車を同営業所で調べたとき、右前輪のブリーダプラグ附近に直径一五糎位の大きさのブレーキオイルと認められるものが付着していた。

従つて、リザーバタンクのブレーキオイルが、右前輪のブリーダブラグから流出したため、ブレーキが利かなくなつたものである。

三責任原因

(一)  被告会社

本件事故の原因は、加害車のブレーキが全く利かなかつたことである。そうして、加害車は、被告会社舞鶴営業所でブレーキ系統の整備点検がなされ、その引渡しを受けた直後に本件事故を惹起したわけである。

そうすると、本件事故時のブレーキの故障は、被告会社舞鶴営業所のブレーキ系統の整備点検の不備、不完全にあると一応推定される。

被告会社は、この推定を覆えすため間接反証を挙げなければならないが、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、同営業所のブレーキ系統の整備点検が完全であつたことが肯認できる証拠がない。むしろ、前記認定の事実からすると、同営業所のしたエア抜き作業の際、右前輪ブリータバルブの締め方の不完全、リザーバタンクにブレーキオイルの不注入、作業終了後のチェックの不十分など、リザーバタンクのブレーキオイルの流出に連がる手落ちが推認できるのである。

以上の次第で、被告会社は、民法七一五条によつて本件事故による損害を賠償する責任がある。

(二)  被告芦田邦夫

前記認定のとおり、被告会社舞鶴営業所が加害車を整備点検してその引渡しを受けた直後の事故であるから、同被告が、加害車は、整備後の完全な車であると信じて運転することは無理からぬことであり、突然のブレーキの故障について、同被告に過失はなく、本件事故は回避不可能であつた。

そこで、原告の同被告に対する請求を排斥する。

(三)  被告吉見利博

同被告は、被告吉見弘己とともに、加害車の保有者として、自賠法三条による賠償責任がある。

そうして、同被告は、同条但書の免責の主張をしていない。

(四)  被告吉見弘己

同被告が加害車の保有者であることは、同被告の自認するところである。

そこで、自賠法三条但書の免責の主張について判断する。

本件事故の時、加害車に機能の障害があつたことは前に認定したとおりである。

ところで、機能の障害とは、その障害が現在の工学技術の水準上不可避のものをいうと解するのが相当であるところ、同被告は、加害車のブレーキの故障が、現在の工学技術の水準上不可避のものであることを認めることのできる証拠をなんら提出しない。この点について、被告会社は整備点検を怠つたのであるから全責任をもつべきであると主張しているが、それは、被告ら間の求償関係では、被告会社が全責任を負うべきであるということに尽き、被害者に対する関係では、被告会社と連帯責任を負担しなければならないのである。

四損害額について

(一)  原告の傷害の程度

<証拠>を総合すると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

原告は、昭和四三年一一月二八日から同年一二月四日まで六日間富士原病院に通院して頸椎損傷の治療を受けた。原告の愁訴は、頸項部疼痛、耳鳴りである。

原告は、同月四日から昭和四四年五月七日まで一五四日間同病院に入院した。

原告は、同病院退院後も、同病院に通院したが、退院後昭和四四年中の通院実日数は、一六九日である。

原告は、同病院の医師のすすめで、桐村眼科医院に、昭和四四年五月二六日から同年九月二四日まで通院して眼精疲労の治療を受けて治癒した。

原告は、同様医師のすすめで、細見耳鼻科医院に、同年三月一〇日から同年七月まで通院して頭部外傷性耳鳴り、感音性難聴の治療を受けたが、著効はなかつた。

原告は、昭和四五年も一〇月ころまで富士原病院に通院しており、同病院の医師は、同年三月ころ、原告の症状は固定していることを認めている。

なお、同年一〇月の診断書によると、原告には、他覚的所見に乏しく、頸項部疼痛のほか、バレー症侯群のあることが認められている。

以上認定の事実からすると、原告の受傷したいわゆるむちうち損傷は、受傷後約一年してその症状固定をみたもので、その後遺症は、一四級に該当する。大部分のむちうち損傷は一年の加療で治癒することは、当裁判所に顕著な事実であり、原告の加療がこれより長引いた原因には、原告のバレー症候群があげられる。そうして原告には、他覚的所見に乏しいのであるから、原告のバレー症候群は本件事故と因果関係がないとしなければならない。

(二)  治療費 金一四九万六、一九三円

富士原病院分 金一四〇万五、〇〇八円

甲第三号証の金一四四万九、八七八円から同第四号証の一七、一八で認められる治療費を控除した額

細見耳鼻科医院分 金一万五、八三五円

<証拠>によつて認める。

桐村眼科医院分 金七万五、三五〇円

<証拠>によつて認める。

(三)  入院雑費 金三万六、八二〇円

<証拠>によつて認める。

(四)  入院付添費 金一二万円

一日八〇〇円×一五〇日

<証拠>によつて、原告の入院中、原告の妻が付添看護をしたことが認められる。

(五)  休業損 金五五万一、〇〇〇円

<証拠>により、原告の当時の年収は金五五万一、〇〇〇円であることが認められるから、これにより休業期間一年の休業損害を算出する。

(六)  逸失利益 金五万円

年収 金五五万一、〇〇〇円

労働能力喪失期間 二年

労働能力喪失率 五パーセント

551,000円×0.05×185=5万円

(七)  慰籍料 金七五万円

入通院分 金六五万円

後遺症分 金一〇万円

(八)  損益相殺

(1,496,193円+36,820円+120,000円+551,000円+50,000円+750,000円)−(500,000円+110,000円+180,000円)≒221万円

五むすび

原告は、被告会社、被告吉見利博、吉見弘己に対し、金二二一万円とこれに対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな被告会社、被告吉見利博は昭和四五年五月一〇日から、被告吉見弘己は同月一一日から各支払いずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならないから、原告の同被告らに対する請求をこの範囲で認容し、その余の請求と、原告の被告芦田邦夫に対する請求を棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い主文のとおり判決する。

(古崎慶長)

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